国道425号線  −その2−

 堺筋通り(さかいすじどおり)を、南にすすむ。大阪で唯一生き残った路面電車である、阪堺(はんかい)電気軌道とならんで走る。
 私は、高校に通うのに、この電車を利用していた時期がある。浜寺公園駅から乗って、花田口という駅で降りると、私の通っていた高校まで歩いて5分であった。電車は古く、昭和5年製造などというものもあった。スピードも出なかったが、南海カラーであるシックなモスグリーンの塗装色が渋く、私は気に入っていた。
 現在は、車体が、広告だらけである。大阪人には、街と調和したデザインとか、渋いデザインといった発想はない。目立ってナンボだから、なんともすごい色に仕上がっている。しかも電車は古いままだから、ものすごい違和感がある。
 「ファン」という、あいかわらずとぼけた警笛の音と、「モァーン」という古いモーターの音を残し、ど派出な広告電車は、元気に走り去って行った。

注)阪堺電気軌道は南海電気鉄道阪堺線であったが、1980年に経営の効率化をめざすため、南海電気鉄道から分離独立した。車両広告の獲得に熱心になったのは、そういった事情からだと思う。



 なんとなく、元気が出た。保存運動などという、しらじらしいことはしない。電車は走ってナンボなのである。で、走る限り、使う(つこう)たらええのである。本音で生きるというのはいい。
 国道26号線に入って、さらに南にすすむ。堺から国道310号線に入って、河内長野(かわちながの)市を通過し、和泉山脈を越える。このあたり、千早赤阪村である。大阪にも、村が残っている。
 和泉山脈を越える国道は、五条に行く310号線のほか、橋本に抜ける371号線がある。310号線がかなり高いところまで上って、短いトンネルで越えているのに対して、371号線は低いところを長い紀見トンネルで越えている。で、ほとんどの人は371号線を使うようだ。私は、そういうことをよく知らず、なんとなく310号線を選んでしまった。
 大阪側はまだよかったが、奈良県側は、道幅も細く、急カーブが連続していた。オートバイだから苦にならないが、クルマだったらちょっといやだな、という感じの道であった。

 五條市内から、紀ノ川の上流である吉野川をわたり、紀伊山地に入っていく。ここからは、国道168号線を走る。
 子供の頃、私が見ていた地図帳には、このあたりに「国鉄バス専用道路」というものがあった。国鉄がバスを走らせているということと、専用の道路までつくっているということが、不思議でならなかった。実際には、未開通路線の路盤を舗装して、バスを走らせただけであったのだが。

注)国鉄バス (現在のJRバスグループ) は、全国的にみれば、たくさんの路線がある。けれども、子供の頃の私は東京で暮らしていたので、国鉄バスを見たことがなかったのである。

 かつて、五條市と和歌山県新宮市を結ぶ「五新線」という鉄道を走らせる計画があった。計画だけでなく、約20キロほど、路盤は完成していた。で、鉄道を走らせる前に、その路盤を使ってバスを走らせ、乗客を誘致しようということであったのだ。

 バス専用道路は、現在も残っている。五條から西吉野村城戸行きの、JRバスが使っているのだ。一般車にも開放すればいいのではないかと思われるかもしれないが、鉄道の単線ぶんの路盤では、バス1台が走るのがやっとであり、はちあわせでもしたら、どうしようもなくなる。また、現在では国道の整備がすすみ、JRバスの運転手にとっても一般国道の方が走りやすいのではないかとも思う。が、とにかく現在も使われている。
 五新線の路盤は、城戸から先も続いており、西吉野トンネル付近には、鉄橋が残っている。開通する見とおしは、むろんない。このように、建設はしたものの使われていない、使われる見とおしのない路盤は、全国に散らばっている。第三セクターの手により開通したところもあるが、まだ500キロメートルくらいは、残っているはずだ。
 西吉野トンネルをすぎると、カーブが多くなる。しかしながら、道そのものは快適だ。新天辻トンネルを通ると、大塔村(おおとうむら)に入る。


  大塔村の地図をみる


阪堺電気軌道紹介ページへのリンク (鉄道で行く旅/Kimura's Internet Home Page
南海電気鉄道へのリンク
浜寺公園駅紹介ページへのリンク
堺市公式サイトへのリンク
五條市公式サイトへのリンク
大塔村公式サイトへのリンク


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