国道40号線  −その1−

 北海道に行くことにした。
 私は、これまで北海道に、6回行ったことがある。そのうち4回は、JRを使って行った。2回はクルマで行った。けれど、オートバイでは行ったことは、一度もない。

 オートバイに乗る者にとって、北海道はひとつの聖地となっている。この乗り物は、あのひろびろとした大地を走るのが、最も似つかわしいと、私も思う。
 けれども、北海道はあまりにも遠い。仕事を持っている社会人にとっては、気軽に行けるようなところではない。
 しかも、あまりにも広い。小学校や中学校で使う地図帳では、北海道だけ、縮尺を大きくしているから、多くの人にとっては、たいして大きい島ではないと錯覚しがちである。しかしながら、例えば札幌と根室のあいだは、約500キロメートルもあるのだ。これは東海道でいうと、東京と京都のあいだに相当する。
 これだけ広いと、一周するのに10日はかかる。道央から、道東や道北に行って帰ってくるだけでも、5〜6日はかかる。さらに、北海道への行き帰りに、まる2日かかるから、少なくとも7日以上の休みをとらないと、北海道には行けないのである。
 ということで、極道者ではない、まっとうな社会人のオートバイ乗りにとっては、北海道に行くのは、なかなか大変なのである。
 けれど、オートバイに乗り始めて10数年、私は、いつかは北海道に行ってみたいと思っていた。

 2002年の夏は、休みを全く取らずに仕事をしていた。そうして9月になり、仕事が一段落して、私は1週間という、少し長めの休みを手に入れることができた。この機会を逃すと、一生、オートバイで北海道には行けないかもしれない。そこで、私は思い切って、行くことにしたのである。

 2002年9月7日土曜日、午後5時。私は、常磐自動車道を走っていた。
 関東近辺に住む者にとって、北海道に行くには、いまでは茨城県の大洗(おおあらい)というところから、フェリーに乗る方法が一般的だ。
 かつては、東京港の有明フェリーターミナルから、苫小牧と釧路に向けて、フェリーが運行されていた。私は釧路行きと苫小牧行きに、それぞれ1回ずつ、乗ったことがある。深夜11時ごろ出港してから、船中に2泊。翌々日の朝(釧路行の場合は昼)に着くというのは、船旅が好きな人にとっては、ちょうどいい長さであった。
 だが、さすがに忙しい現代では、利用客が少なくなってしまったようだ。有明フェリーターミナルからのフェリーは、旅客を扱わない自動車航送専用船を除いて、すべて廃止されてしまった。やはり、東京を出てから、房総半島をぐるっと迂回していくのがいけない。深夜東京を出て、朝7時ごろ目を覚ますと、まだ犬吠埼の沖、というのは、たしかに効率が悪い。
 ということで、現在では旅客を扱うフェリーは、すべて大洗から出ている。常磐自動車道により大洗まで行くことにより、房総半島をショートカットすることができ、約20時間の航海で北海道に行くことができるのだ。有明から出るよりも、約11時間ほど、時間の節約になる。

 私の住んでいる立川から大洗までは、行きづらい。東京に暮らしていない人には、わかってもらえないだろうが、八王子インターから中央道に入り、首都高速の三宅坂ジャンクションから箱崎ジャンクションを経由して、三郷(みさと)インターに抜けようとすると、いったい何時間かかるか、わからないのだ。少なくとも3時間はみておくというのが、東京の高速道路の悲しい常識なのである。
 そこで私は、立川から所沢に出て、浦和所沢バイパス、新大宮バイパス、国道16号線を経由して、柏インターから常磐道に入った。自宅から柏インターまで2時間くらいだったから、大幅に時間を節約できたと思う。

 少しのあいだ、家をあける関係で、私はぎりぎりまで、雑用をかたずけてきた。その結果、家を出るのが遅くなってしまった。午後6時30分の船には間に合わないかもしれないな、と思っていたが、どうやら間に合いそうだ。
 けれども、水戸大洗インターチェンジを出て、しばらく走ったところで、オートバイのエンジンが止まってしまった。そして、原因がわからず、もたもたしているうちに、午後6時30分の船に乗り遅れてしまった。次の船は、午後11時59分発。約5時間半も待つはめになってしまった。
 エンジンが止まった原因については、のちほど詳しく述べる。私のGB250にとっては、走行距離6万2000キロにして初めて経験する、重大なトラブルであった。



国道40号線  (白地図著作権:「白い地図工房」

 


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