国道402号線・国道8号線  −その3−


 間瀬から先は、寺泊まで、美しい砂浜と磯が交互にあらわれる。このあたりの砂浜は砂が白く、青い海と緑の山に、よく映えている。
 寺泊は、酒造りの杜氏の町だ。国道4号線を走ったとき、石鳥谷という町があった。南部杜氏の町であった。今回は、越後杜氏の町を訪れたことになる。こういってはなんだが、石鳥谷も寺泊も、どちらかというと、あまりぱっとしない町だ。だからこそ、冬場に杜氏として、出稼ぎに出たのだろう。

 国道402号線に面したところに、魚市場がある。通称、「魚のアメ横」である。最近では、首都圏のTVでも、旅ものの番組などで、よくとりあげられている。関東ナンバーの観光バスが、たくさん来ていた。
 何軒かの店先を、のぞいてみる。サザエ1個300円、サバ1匹500円。安いのかどうか、わからない。私は、家では、わりと料理をする方なのだが、魚介類については、あまり自分で買ったことがない。東京での価格がわからないから、安いのかどうか、判断ができないのであった。
 いずれにしても、バッグのなかに、なまの魚を入れたまま、走るわけにもいかない。ひととおり見ただけで、何も買わずに出発した。

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寺泊町公式ページ
魚のアメ横


 さらに南に走り、出雲崎に着いた。ここは、「奥の細道」で、あまりにも有名である。

     荒海や 佐渡によこたふ 天河

 芭蕉の、この句により、日本海というと荒海、というイメージが、日本人のなかに定着したのではないかと思う。実際には、日本海は、そんなにいつもいつも、荒れているわけではない。
 冬の季節風が吹き荒れる頃の日本海は、かなり波が荒い。けれども、それ以外の季節は、太平洋よりも、はるかに静かなのではないか、と思われる。
 台風の季節では、太平洋がわにくらべれば、上陸する確率は低いだろうし、南方海上に台風があることにより発生する大きなうねり、いわゆる土用波も来ることはないだろう。それに、日本海では潮の干満がほとんどないから、高潮の被害なども、太平洋がわよりずっと少ないのではないかと思われる。

 ちなみに、芭蕉が出雲崎を通ったのは、1689年7月4日のことであった。風はあったが、快晴であったという。海は静かだっただろう。夜には大雨が降ったというから、天の川は、出ていなかったはずだ。
 出雲崎は、江戸時代には、佐渡からの金が運び込まれた港であり、天領の地でもあった。流刑地として、恐れられた佐渡。その佐渡の金山に、罪人や無宿人を運んだ出雲崎の港。そのようなことから、芭蕉はここに来る前から、荒海の句のイメージを固めていたのだろう。

 ところで、「奥の細道」では、新潟県内について、「鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。」と、あっさりとかたづけられている。「奥の細道」は、そんなに長い作品ではないのだが、それにしても、いくらなんでも、はしょりすぎではないかと思う。
 出雲崎はまた、良寛和尚でも有名なところだ。良寛は1758年に、ここ出雲崎の、庄屋の長男として生まれた。良寛記念館も建てられている。

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出雲崎町公式ページ
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドットコム
全国良寛会公式ホームページ


 出雲崎をあとにする。
 国道沿いに、「石油記念館」がある。ここには、かつて尼瀬油田があった。この地では、古代より、海面に石油が浮遊していたという。「もゆる水」などといわれ、名物になっていたようだ。明治24年には、機械による深層採掘に、我が国で初めて成功したという。そして、ランプが輸入されるようになると、あちこちで手掘り井戸と製油所がつくられたという。以来、1985年まで、採油が行われていた。わが国における、油田発祥の地といえよう。

  石油記念館の地図をみる



 出雲崎から柏崎までは、国道352号線と国道402号線の並行区間となる。西山町は、田中角栄の出身地だ。田中角栄記念館というのもある。
 彼は、要するに“土建”な人であり、業界の利益追求のために、列島改造をうちだした、という見方ができる。それは、結果的に地価高騰とインフレを招いた。列島改造がもたらした結果については、当の自民党内においてさえも、批判は多いようだ。
 けれども、すごい人だとは思う。彼は、例えば1億円が必要なとき、「2億円、集めてくれ。」と言ったという。そして、2億円集めてきたら、自分は1億円を受け取り、集めた人に、その場で1億円を渡したというのだ。まさしく彼は、人の心をつかむ天才であった。人間は、決してきれいごとだけでは動かないものだ、ということまで知りつくしていた。

 柏崎インターチェンジから西山町までの国道116号線は、中央分離帯付き片側2車線という、豪華な道だ。我田引水もここまで露骨だと、なんだかなあ、という感じがする。
 「世のため、人のため」とか、「故郷に錦をかざる」といった、狭い地域社会で生きてきた人間独特の感覚は、個人的には、あまり好きにはなれない。

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西山町公式ページ


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