国道362号線   −その3−


 話は突然、28年前にさかのぼるが、私が初めて大井川鉄道に乗ったのは、1976年の夏休みであった。その年から、大井川鉄道に「SL急行」が運転され、C11型の蒸気機関車が復活したのである。私はそれに乗りたい、と思ったのだ。
 東京から大垣行きの夜行列車に乗って、深夜の静岡駅で降り、夜を明かした。それから朝5時発の始発電車に乗って、金谷に着いたのは5時30分ごろであった。そんな時間に金谷駅に降りるやつは、私ひとりだろう、と思っていたら、意外にも、たくさんの人が降りたので、びっくりした。いわずと知れた鉄っちゃんたちである。
 私は、午前10時ごろのSL急行の出発まで、待合室で待つつもりであった。が、鉄っちゃんの一人が、私に、「(大井川鉄道の始発に)乗らないの?」と話しかけてきた。私はなんとなく、彼について行った。

 車内で話すと、早稲田大学の2年生であるという。私と年齢が近いこともあって、話が合った。彼は、私に大井川鉄道を走っている車両のこととか、いろんな撮影地について、話をしてくれた。そして、いくつかの撮影ポイントを案内してもらって、写真を撮った。私は鉄っちゃんのわりには、車両とか撮影地とか、そういうことに疎かった。要するに、鉄道に乗って旅をすることに興味があったのであり、鉄道そのものに興味があったわけではなかったのかもしれない。
 SL急行は、どこであったかは忘れたけれど、鉄橋を渡るところを写真に撮った。彼について行ったおかげで、いい写真を撮ることは出来たけど、結局、そのときはSL急行に乗ることはできなかった。彼に言わせると、

「あんなもの、乗っても仕方がないじゃないか。」

ということなのである。SLは、あくまでも見るものであって乗るものではない、というのが、正しい鉄っちゃん道のようだ。

 あれから28年。
 大井川鉄道のSL急行は、相変わらず健在である。今日も、たくさんの鉄っちゃんたちがやって来て、写真を撮っている。やはり、その多くはSL急行に乗ったりせず、沿線の撮影ポイントで、ひたすらカメラを構えているのであった。
 私は大井川鉄道沿線で、一番大きな町である川根町(かわねちょう)の家山(いえやま)まで、オートバイを走らせた。家山駅には、SL急行が停車する。いまから行けば、ちょうどSL急行の出発風景を見ることができるだろう。

 家山駅に着くと、すでに鉄っちゃんが一人、場所をとっていた。

私    「すみません。私もここで(写真を)撮らせていただいてよろしいですか。」
鉄っちゃん「はい、いいですよ。でもビデオも回していますから、声を出さないでくださいね。」

 列車が来るまで、その人と少し話をした。彼は神奈川県の秦野市に住んでおり、日本全国の蒸気機関車を撮っているのだという。日本全国の蒸気機関車といっても、いまでは数えるほどしかないけれど。
 SL急行列車が、近づいてきた。

鉄っちゃん「ドラフト音が大きいから、ゴロクじゃないなー。」
私    「たぶんC10でしょう。汽笛の音、いちばん下がないから。」

 鉄道おたく同士の会話である。一般人には、なにを言っているのか、まったく理解できないだろう。
 大井川鉄道は、大井川鉄道には、C10型、C11型、C12型、C56型といった、複数の機種の蒸気機関車を所有しているが、どの機関車がSL急行列車を牽引するかは、当日になってみないとわからない。それで、秦野から来た鉄っちゃんと私は、近づいてくる列車の音で、牽引機関車を言い当てているのである。

 ドラフト音というのは、シリンダーから蒸気が排出される音のことである。小型の機関車の場合は、ポッポッポッポッという軽い感じの音になる。中型の機関車の場合は、ボッボッボッボッと、やや大きな音になる。さらに大型の機関車の場合は、バッバッバッバッという轟音になる。
 汽笛は、一本の笛ではなく、音階の異なる笛を同時に鳴らす。つまり単音ではなく、和音となっているのである。通常の汽笛は4つか5つの和音により構成され、ポォーッと聞こえる。けれども明治・大正時代とか昭和初期につくられた機関車では、しばしば、いちばん下の音がなく、3つの和音で構成される。だから、ピョオーッという感じで、少しカン高い音に聞こえるのだ。
 秦野から来た彼は、ドラフト音を聞いて、ゴロク(C56型)などといった小型の機関車ではないな、と言っているのであり、私は汽笛の和音を聞いて、たぶん昭和初期につくられたC10型だろう、と言っているのだ。

 やってきたのは、はたしてC10型であった。私にとってC10型を見るのは、これが初めてである。私が高校生のときまで、国鉄(現JRグループ)に蒸気機関車は走っていた。けれど、さすがにこんなに古い機関車は残っていなかったのである。車体には、リベットがたくさん使われている。溶接技術が発達していない時期につくられたからで、古さを感じさせる。
 ピョオーッと、出発の汽笛が鳴った。C10型機関車はボッ、ボッと蒸気を吐き出しながら、元気に4両の客車をひいて、走り去っていった。秦野から来た鉄っちゃんは、ビデオとカメラを片付け、次の撮影地に向かって出発して行った。私は家山駅の待合室で、缶コーヒーを飲みながら、しばし休憩した。


C10型蒸気機関車


 人はなぜ、おたくになるのか。
 おたくというのは、特定分野に関する知識に秀でている人である、と一般的には思われがちである。パソコンおたく、アニメおたくなどといった言い方が、よくされる。
 しかしながら、私の場合は、鉄道やオートバイだけでなく、バス、船舶といった交通関係のほか、カメラ、天体望遠鏡などといった光学機器関係、版画などの美術関係、ラジオ、プラモデルなどの工作関係、バスケットボールといったスポーツ関係についても、一般の人よりは、はるかに深い知識と経験の蓄積を持っている。そういった意味では、私は鉄道おたく、オートバイおたくであるが、同時にバスおたく、船おたく、カメラおたく、天体望遠鏡おたく、版画おたく、工作おたく、バスケットボールおたくでもあるのだ。
 私に限らず、真におたくと言われる人は、特定分野だけでなく、多方面に対する知識の蓄積を深めていく傾向がある。そういった意味では、おたくというのは、趣味・嗜好などではなく、生き方そのものであるといえよう。

 知識や経験の蓄積を求めない人にとっては、こういった生き方は、まったく理解されない。とりわけ女性には、理解されないばかりか、露骨に嫌われる傾向がある。
 しかしながら、なかには、おたくを面白がる女性もいる。私は、金沢のキャバレーで、ドゥカティのデスモドロミックエンジンの構造とそのメリット、デメリットについて10分くらい語ったことがあるが、横についた女性は、オートバイに乗っていたことがあるということで、結構、ウケていた(と思う...)。

 家山をあとにして、笹間渡(ささまど)に向かう。ここには、道の駅に併設されて、川根温泉という施設が出来ている。
 普通の浴場も、もちろんあるのだが、「足湯」という、ひざから下だけをつけることができる施設がある。これは無料で利用することができる。オートバイ乗りたちの、ブーツで締め付けられてきた足にとっては、ありがたい施設である。


川根温泉の足湯

足湯を使わせてもらう (ちょっと熱かった)


 足湯を試してから、私はひと風呂、浴びることにした。今日は、5月とは思えないほど気温が高く、汗ばむほどである。
 露天風呂に浸かっていたら、突然、ポーッという汽笛が聞こえた。4つの和音から構成されているので、C11型かC12型もしくはC56型の汽笛である。聞き覚えがあったので、たぶんC12型だろうな、と思った。今日は連休なので、SL急行が増発されている。今日、2本目のSL急行が、ちょうど通りかかったのである。
 見ると、やはりC12型機関車に牽引された列車が、長いプレートガーター橋を渡ってくる。露天風呂からは、約50メートルくらいの距離である。温泉に入っていた人たちが裸のまま、汽車に向かって手を振る。列車に乗っている人から見ると、滑稽なのだろう。みんな大笑いしている。
 隣の、女性用の露天風呂でも、列車は見えるのであろうか。まさか、女の人は裸のまま、手をふったりしないだろうけど。そんなことをしたら、大騒ぎになるだろう(と思う)。

リンク
道の駅「川根温泉」


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