国道311号線   −その1−


 2004年11月7日午後2時、私は三重県尾鷲市にいた。
 これまで、この旅行記のなかに何回か書いたことがあるが、ここ、尾鷲市内に、私の実家がある。今回は久しぶりの帰省である。といっても、オートバイで旅行したついでに、寄っただけだけれど。

 私自身は、尾鷲に住んだことはない。私が生まれたときには、父は東京に出て働いており、そのまま郷里に帰ることはなかった。だから、私にとって尾鷲の実家というのは、祖母と伯母と従兄が住んでいて、夏休みに遊びに行くだけのところであった。とはいえ、毎年必ず遊びに行っていたので、それなりの愛着がある。私は自分の本籍地を東京に移さず、いまだに尾鷲市のままにしている。
 その実家に、約8年ぶりに帰った。

 尾鷲というと、小学校とか中学校の社会の時間に、雨の多い町として習う。だから、多くの人にとっては、尾鷲といえば雨を思い浮かべるのではないだろうか。じっさい、尾鷲の降水量は1年間に4000mmほどもあり、これは東京あたりの3倍ちかい。尾鷲では、背後に1000メートル級の山があり、南東季節風がもろに当たるので、断熱冷却により雨雲が発生しやすいのである。
 私が小学校1年生の夏休みのことであるが、尾鷲に滞在中の2週間ほどずっと雨が続いてしまって、全く泳ぐことが出来ず、しょんぼりと東京に帰ったということがあった。

 尾鷲では、雨が多いだけでなく、降り方もハンパではない。ドシャーッという感じで降る。ハワイのホノルルも、雨の多い町として知られているけれど、ああいった感じではない。ホノルルの雨は、サーッと降ってすぐにやむ。まさにシャワーという感じである。ホノルルのシャワーなんて、尾鷲の雨にくらべれば、かわいいもんである。

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尾鷲市公式ページ 


 尾鷲の市街を出て、国道42号線をしばらく走ると、国道311号線への分岐点がある。「→九鬼(くき)」という案内標識にしたがって、左折する。
 すぐに八鬼山トンネル(やきやまトンネル)に入る。このトンネルは、1992年に開通したものだ。このトンネルができるまでは、国道311号線は、大曽根浦の駅から海岸沿いに、くねくねと迂回していた。この道は、まだ旧道として残っているけれど、国道とは名ばかりの悪路で、クルマ同士のすれ違いも困難な狭い道である。私は1988年の夏に、この区間をクルマで走っているが、もう2度と走る気になれない。
 八鬼山トンネルが開通したおかげで、一気にショートカットすることができ、大幅な時間短縮となった。と同時に、道もずいぶんと良くなった。


八鬼山トンネル

九鬼



 八鬼山トンネルをくぐると、九鬼という集落に入る。珍しい名前の集落であるが、九鬼水軍(くきすいぐん=別名熊野水軍)の拠点となったところである。
 水軍といっても、歴史に興味のない人にはピンと来ないかもしれないが、「落第忍者乱太郎」の第三共栄丸さんたち、といえば、わかっていただけるだろうか。海賊と誤解されがちだけれど、海上における軍事力を提供する専門集団、と理解していただければと思われる。

 このあたり、小さな入り江が連続している。尾鷲から熊野までのあいだは、1000メートル級の山が、一気に海に落ち込むリアス式海岸となっているのだ。そのため、昔から交通の難所であった。この区間の紀勢本線は、駅から駅のあいだは、ほとんどトンネルである。海岸線沿いに、鉄道を敷設することが出来なかったのである。大変な難工事であり、紀勢本線が全部開通したのは、1959年7月15日であった。私は1956年生まれなので、私が生まれた時には、まだ、全線開通していなかった。
 で、尾鷲から熊野までの集落に住んでいる人はどうしていたかというと、巡航船といわれる船で、行き来していたのであった。この巡航船は、現在でも1路線だけ残っている。尾鷲から須賀利(すがり)までのあいだである。

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須賀利巡航船時刻表


賀田湾

尾鷲市立南輪内中学校


 九鬼からは、早田トンネル(はいだトンネル)と三木浦トンネル(みきのうらトンネル)を抜けて、三木浦の集落に入る。賀田湾(かたわん)がきれいに見える。国道311号線の尾鷲〜熊野市の区間は、あまり知られていないけれど、海岸線の景観がきわめてよいところなのである。

 三木里(みきさと)の集落に入る。ここは白い砂浜が続いており、夏には、いい海水浴場となる。
 木造の校舎がみえる。しかも、廃校になったものではなく、現役で使われている。行ってみると、尾鷲市立南輪内中学校であった。いまだに現役で使われている木造校舎というのは、全国的にみて、わりと珍しいのではないかと思う。日曜日ではあったが、生徒たちは、パコン、パコンと、ソフトテニスの練習をやっていた。

 関東に住んでいる方にとっては、ソフトテニスというスポーツは、見たことがないかもしれない。が、関西では、わりと盛んに行われているのである。ソフトテニスは日本で考案されたスポーツで、関西を中心とした日本のほか、台湾などでも行われている。
 ふつうのテニス(=硬式テニス)のボールは使い捨てであり、すぐにダメになってしまうのに対して、ソフトテニスのボールはゴムボールであるから比較的長く使える。また、ラケットのガットなども、あまり交換する必要がない。要するにランニングコストが安いのである。だから、関西では中学生を中心に、ひろく普及している。私の通っていた中学では、テニス部というのはソフトテニス部しかなかった。
 ということで、関西では中学まではソフトテニスで練習して、高校になると硬式テニスに転向するというのが、一般的なようだ。私の妻の妹、要するに義理の妹も、そういうコースであった。
 ソフトテニスは、実際にはスピーティで、かなり激しいスポーツだということだけど、パコン、パコンという音があまりにものどかなので、真剣にやっているように見えないところが欠点だと思う。

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木造校舎 
日本ソフトテニス連盟



国道311号線
  (白地図著作権:「白い地図工房」


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