国道2号線 Part2  −その3−

 西条から国道486号線を走って、八本松に向かう。この道は、もともと国道2号線であった。けれども自動車専用の西条バイパス(国道2号線の新道)が完成してから、一気に400番台の国道に格下げになってしまった。代表取締役から平社員に降格になったような感じだ。
 八本松という駅で休憩した。ここから次の瀬野駅までは、ほぼ一方的な下り坂、広島方面からみると登り坂になっている。ここでは、重くて長い列車は、前に牽引する主機関車、後ろから押す補助機関車を付けて、プッシュ&プルのかたちで運行されていた。さらに、走行中に後ろから押す補助機関車を切り離すという、全国でもここでしか見られないことが行われていた。現在では機関車の出力が上がったため、プッシュ&プルは行われていない。
 運賃表をみると、次の瀬野駅までの運賃は230円もする。瀬野〜八本松間は、10.6キロメートルもある。山手線でいうと、東京を出てから渋谷あたりまで、駅がないことになる。両駅のあいだは、ほとんど人家がないのだろう。広島市の近郊とは思えないところだ。
 八本松から、国道2号線に戻る。瀬野駅の駅前からは、「スカイレール」という新交通システムが出ている。1998年10月に開業したもので、付近に新しく開発された住宅地まで、全長約1.3キロメートルほどであるが、モノレールのような、ロープウェイのような乗り物が走っている。

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スカイレール紹介ページ  (「チャトレくらぶ」旅と鉄道の趣味人サークル)

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原爆ドーム  


 マツダの大工場を右手に見ながら、自動車専用道のような感じの道を走り、広島市に入った。
 私は、広島というと「原爆ドーム」「広島風お好み焼き」「広島東洋カープ」の3つを連想してしまう。そのうちのひとつ、まずは原爆ドームを見に行こうと思う。路面電車といっしょに市内を走って、平和記念公園に向かった。

 原爆ドームは「世界遺産」に指定されている。世界遺産というと、人類にとって普遍的な価値を有する史跡や自然景観が指定されるものとばかり思っていたが、偉大なる業績ばかりが選ばれるのではないのであった。原爆ドームはアウシュビッツ強制収容所とともに、人類史上における「負の遺産」として、指定されているのである。

 駐輪場がないので、歩道にオートバイを止めて、原爆ドームを見に行った。春休みの休日だから、たくさんの人が訪れている。外国人もたくさん訪れていた。
 外国人をみると、すぐにアメリカ人と思ってしまうのは、われわれ日本人の悪い癖である。よく観察すると、欧州からの若い旅行者が多いようであった。しかし、なかには明らかにアメリカ人と思われる若者もいる。アメリカ人にとって、広島、長崎は訪れにくいところなのかな、と思っていたが、そうでもないのかもしれない。

 われわれ日本人にとっては、ハワイの「アリゾナ記念館」や、シンガポールの「シンガポール海軍博物館」などは、行きづらいところだ。私はシンガポールにグループ旅行で行ったとき、中国系の現地人ガイドに、

「あなたがた日本人が何をしてきたか、ちゃんと見てくるといいよ(笑)。」

と言われて、海軍博物館に連れて行かれた。なかなかエキセントリックなガイドであった。
 覚悟を決めて展示を見てまわったが、東南アジアの人々の日本に対する印象と歴史観を知るという意味では、非常に有意義な経験であった。
 私たちの世代も含めて、多くの人々は戦争に関して無関心である。けれども、現実の世界では、絶え間なく戦争は起きている。私は、若い人が原爆ドームを訪れ、核兵器の危険性、残虐性について、考える機会を持ってもらえることは、とてもいいことだと思う。

 なお、広島に原爆が落とされたのは、戦前、ここが典型的な軍事都市であったからだ。戦時中、広島の人口は約35万人であり、そのうち軍関係者は4万人を超えていた。軍需産業の生産拠点も集中しており、そういったところに勤務していた人の数も相当なものであっただろう。
 戦後の教育においては、日本史の暗い部分を語りたがらないところがある。原爆ドームを訪れて、そういった事実もあわせて知ることにより、私たちは歴史から、より多くの教訓を学ぶことができると思う。

リンク
ヒロシマ・ピースサイト
広島市公式サイト


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