国道265号線  その2


 子どもの頃の私は、地図を見るのが好きであった。とくに目的がある、というのではない。地図の上にえがかれた街、川、山は、単なる記号でしかないのだが、それらのものが、たしかに存在するという証拠である。そのひとつひとつを、確認していく作業そのものが、楽しいのであった。
 もちろん、私にとって、そのほとんどは、行ったことがないところである。まだ子どもである私にとっては、当然のことながら、一人で遠いところに旅をするわけにはいかない。だから、実際に行ってみるわけにはいかないのである。ほとんど霞の奥にかすんだ遠くをながめるような思いで、毎日、地図をながめていた。思えば少し変わった子どもであったのかもしれない。

 ある時、九州のページを見ていて、気づいたことがあった。それは、九州山地の奥深いところを、縦に貫く、一本の道があることであった。その道は、南九州の霧島山の近く、小林という町から、深い山の中にある西米良村、椎葉村というところを経て、九州のほぼ中央、阿蘇山にまで達している。地図上で、濃い茶色に塗られたところを、いかにもたよりなく、くねくねと曲がりながら、かなり長い距離を走っている。私は、こんな深い山のなかにも、道があることが信じられなかった。その道が、国道265号線であった。

 こんな人の住んでいない山の中を走る道は、どんな景色なのだろう。いったい、どんな人が利用しているのだろう。
 丸太をいっぱい積んだトラックでも、走っているのだろうか。そして、最後に峠を越えて、阿蘇山が見えた瞬間というのは、どんな感じなのだろう。
 私は、子供ながらに、一生懸命想像力をはたらかせて、その景色を思い描いた。しかし、私にとって九州は、縁もゆかりもないところであって、遠いという実感すらもわかない。ほとんど別世界であった。
 でも、いつか行ってみたい、と思った。私は国道265号線のことが気にかかって、それからもよく地図でぼんやりと眺めていた。

 それからの私の人生には、受験、進学、就職、結婚、長男の誕生、次男の誕生など、いろいろなことがあった。だから、子どものころ地図で見ていた国道265号線を走りに来るのは、30年後のいまになってしまったのである。
 国道265号線を走る日は、あいにくの雨であった。私はレインウェアを着込んで、フルフェイスヘルメットのシールドに、溌水剤を塗り込んだ。宮崎のビジネスホテルを出て、国道10号線を西へ。国道268号線に入り、小林市にむかう。小林市街に入ると「須木方面」という案内標識に従って右折し、国道265号線に入った。



小林市〜西米良村

 小林市から西米良村までは、最後まで未舗装であった区間である。悪路を覚悟していたのだが、意外に走りやすかった。どうやら、相当な道の改良と、付け替えが行われたようである。私が子供の頃、地図で眺めていた道の位置とは、違っているのだろう。少し残念である。
 地図で確認すると、軍谷峠(ぐんやとうげ)というところには、旧道が未舗装のまま残っているようであった。だが私のオートバイはオンロードタイプであるし、悪天候でもあるので、敬遠してそのまま新道を行った。新道は長いトンネルで、一気に峠を越えた。

 須木村から西米良村までは、ほとんど改良がされておらず、正真正銘の悪路であった。乗用車1台分の道幅しかない、国道とは名ばかりで、林道をちょっと改良した程度の道が、延々と続いていた。雨は、相変わらず激しく降り続いている。私の持っている地図には、途中の輝嶺(きれい)峠というところでは、「はるか霧島連山を見渡せる」と書いてあったが、そんなものは何も見えなかった。
 また、2つほど小さな集落があるはずであったが、すべりやすくなった路面の状態に、神経を集中させていたせいか、まるで気が付かなかった。

 道は紆余曲折を繰り返し、果てしなく続いているかのようにように思われた。見えるのはただ緑だけ。西米良村までの区間は、地図では42.0qと表示されていたが、その3倍くらいあるように思われた。私は、休憩をほとんどとらなかったが、この区間を走るのに、2時間近くもかかってしまった。
 そして驚くべきことに、そのあいだ、ただの1台の対向車にも会った記憶がない。ふだんから、ほとんど交通量がないところなのだろう。万一、走行不能な事態に陥ってしまったら、4時間くらい、誰も通らないことが予想される。
「もし、ここで事故でもやったら、死を覚悟すべきかな。」と、また、小心なことを考えてしまった。幸い、私は無事に西米良村にたどり着いた。


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