国道197号線 Part2  −その3−


 大洲を後にし、国道197号線を肱川町(ひじかわちょう)にむけて走る。
 道の駅「清流の里ひじかわ」がある。そういわれると、肱川は清流なのかなと思って、見てみる。けれども、そんなにきれいではない。正直いって、四万十川などよりは、はるかに濁っているし、長良川や気田川など、本州の代表的な清流にくらべても、きれいではないと思うが。すぐ上流に鹿野川ダムがあるのだから、無理もないと思う。ここの道の駅は、コンビニとスーパーが一軒ずつある。買い物には便利なところであった。
 城川町、日吉村と走る。国道197号線は、四国の3ケタ国道には珍しく、2車線は確保されているし、急なカーブなどもなく、とても走りやすい。日吉村の役場の前を右折し、トンネルをいくつか抜けると梼原町(ゆすはらちょう)にはいる。


 梼原を訪ねてみたい、というのが、今回、私が旅に出た主な理由であった。

 子供の頃、地図を見ていて、この梼原の町を見つけたとき、私は、この村に暮らしているひとは、どうやって町に出るのだろう、と思った。地図の上では、深い山のなかに、ぽつんと役場をあらわす記号である小さな○が描いてある。けれど、そこにいたるまでの鉄道や道路が、まったくないのである。
 土讃線の須崎駅がもっとも近いと思われるが、そこまでの道が描いていない。また、私の子供の頃は、まだ予土線は開通していなかったから、土佐大正などという駅も存在していなかった。そもそも、四国は交通が不便なところであるが、梼原の隔絶ぶりは、子供の頃の私にとっては、想像を絶していた。

 現在でも、梼原は四国のなかで、もっとも僻地といってもいいところで、最寄の鉄道の駅である須崎までは、バスで1時間以上かかる。高知までは2時間半くらいだ。いまは国道197号線も整備されたから、それくらいで行けるだろうけど、私の子供の頃は、そんなものではなかったはずである。
 とにかく、梼原がどんなところなのか見るというのが、今回の私の旅の、メインテーマであったのだ。

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梼原町ホームページ


 梼原町の歴史はふるく、913年、津野経高氏がこの地に入り、開拓によって津野荘を築いた。以来、津野氏の所領となり、地域の政治、文化の中心地として発展したという。そういった意味では、もともとは、土佐よりも伊予との関係が強いところである。
 歴史民俗資料館をみる。私は、こういうところを見学しても、何が展示してあったかは、すぐ忘れてしまうのであるが、このあたり、縄文時代から人が住んでいたということがわかった。山のなかにあるわりには、暮らしやすいところなのかもしれない。
 ゆすはら座をみる。高知県下では、唯一の木造りの芝居小屋であるという。内子にも内子座がある。四国の人たちは、芝居や歌舞伎が好きなのであろうか。
 維新の門をみる。坂本龍馬のほか、澤村惣之丞、那須俊平、中平龍之介、吉村虎太郎、那須信吾、前田繁馬の像があり、八志士ということである。坂本龍馬以外、私は知らない。

 町のなかを見てまわったあと、私は、四国カルストまで行ってみることにした。国道197号線を進み、東津野村に入ったところで、公団幹線林道東津野・城川線に入る。林道などを走らずに、国道440号線を行けばいいではないか、と思われるかもしれない。が、国道440号線が建設された時期は古いため、道幅は狭く、急なカーブの続く悪路である。それに対して、団幹線林道東津野・城川線は、新しくつくられた道で、全線2車線が確保されているし、カーブも緩やかである。
 そもそも、四国では、幹線林道とか広域農道の方が、古い国道よりも、はるかに道がいい。理由は、古い国道を改修して使うよりも、新しい道をつくった方が、建設費が安くすむからである。

 天狗高原までの公団幹線林道は、快適な道であった。関東近辺であったなら、走り屋であふれかえっているだろう。けれど、ここ四国では、走っているのは、私ひとりであった。
 四国カルストは、わりと有名な観光地だけれど、訪れてみると、こんなもんか、と思うほど小規模であった。それほど美しくもなく、正直言って、がっかりした。これほどがっかりしたのは、シンガポールでマーライオンを見て以来である。
 要するに原っぱに、石灰岩がぽこぽこと飛び出しているだけである。鍾乳洞とか、そういうのはない。あっても、公開されていないのかもしれない。だから、地質とか珍しい地形に興味がある人以外にとっては、退屈だろうと思う。
 カルスト台地は、畜産業にも活用されていて、牛が放牧されている。牛がドリーネに落ちたりしないのだろうか、と心配になる。毎年、一頭か二頭くらい、いなくなっているのかもしれない。


四国カルスト


 帰りは、国道440号線で梼原に戻った。国道とはいえ、1.5車線くらいで、急カーブが多いうえ、路面が荒れている。オートバイだから、あまり苦にならないけれど、クルマだったら、ちょっと走るのはいやだな、と思うくらいの道であった。
 途中で「梼原近道→」という立て看板があったので、それに従って、進んでみた。すぐに、どこを走っているのか、わからなくなってしまった。地元のクルマに追い付いたので、それにくっついて走る。くねくねと曲がりくねった道を通って、ようやく梼原の町に戻った。

 スーパーマーケットを見かけたので、その前でとまった。夕食を買って行こうと思ったのだ。すると、軽自動車のパトカーが来て、私を見るなり停車した。私は職務質問でもされるくらいなら、知らん顔をして行ってしまおうかな、と思って、しばらく、オートバイを降りなかった。

 案の定、若い警察官が、パトカーから首を出して、私に話しかけてくる。けれど、にこにこ笑っている。

警察官    「どうされましたか。道がわからないとか?」
私     「あ、いえ。ここで夕食の買い物をして行こうと思いまして。」
警察官   「ああ、そうでしたか。それは失礼しました。どうぞ、ごゆっくり。」

そう言うと、その警察官は行ってしまった。

 警察官の対応も、変わったものである。私の若い頃は、警察官というものは、「おいこらっ。どこから来た。なにをしている。」という感じで、話しかけて来たものだ。
 一般市民に対しては、いつも偉そうにしていられた。だから、他人に頭を下げるのが嫌いな人が警察官になったものだし、つまらないプライドとか、なにか根拠のない自信を持っている人には、うってつけの仕事であった。
 それが、いまや県外から来たオートバイ乗りの旅行者に対して、「どうされましたか?」か。時代は変わったものである。
 買い物を終えて、走り出すと、また軽自動車のパトカーに会った。はたして、さきほどの警察官であった。私は片手をあげて、挨拶をした。すると、むこうも私に気づいて、にっこりと笑いながら片手をあげ、お互いに会釈しながら、すれ違った。

 「道の駅ゆすはら」に着く。ここには、太郎川公園が隣接している。私は、ここに「ライダーズイン雲の上」という施設と、キャンプ場があることを調べてきている。ライダーズインにするか、キャンプ場にするか。私は、現物をみて決めようと思っていた。
 で、ライダーズインであるが、オートバイを入れることができる車庫と、4人まで泊まれるバンガローが合体したカマボコのような部屋が、16個ある。車庫のなかでは、オフロード走行をした後などのために、洗車もできるようだ。
 それに対して、キャンプ場は普通の芝生のサイトである。が、オートバイも近くにとめることができるし、清潔な感じであった。料金はライダーズインが1泊3150円、キャンプ場が520円であった。

 結局、私はキャンプ場を選択した。ライダーズインのような施設が、全国にあればいいな、と思う。テントとシュラフを持たずに旅ができるし、1泊1室で3150円という値段は、決して高くはないと思う。
 けれど、テントとシュラフを持ち、ひとりで旅をしている者にとっては、ライダーズインは、明らかにオーバースペックである。やはりあれは、3〜4人でテントを持たずにツーリングしているようなグループを対象にした施設であろう。

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ライダーズイン雲の上



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