国道16号線  −その3−



 やがて、ひらけた場所に出た。狭く谷のようになった地形に、小さく階段状になった棚田がひろがっている。典型的な谷戸だ。
 去年刈り取ったのだろうと思われる稲の藁が放射状に積まれ、田植えが終わった田んぼとともに、いい風景をつくってくれている。ここだけを見れば、とても東京とは思えない。私は、しばらくのあいだ、そこにすわって、じっと田んぼを見ていた。
 山のなかに、小さな田んぼがあるというのは、なんとも落ち着く景色である。実際の暮らしはどうなのかわからないが、豊かさを感じさせるところである。
 さらに歩くと、「結道」というバス停に出た。なんと読むのだろう。「けつどう」でいいのだろうか。

注)あとで調べてみると「ゆいどう」であった。


谷戸の田んぼ



 日大三高のグラウンドが見える。この学校の野球部は、2001年8月に行われた第83回全国高校野球選手権大会、つまり夏の甲子園で優勝した。西東京きっての野球の強豪高として、有名である。
 ずいぶんと山奥にあるのだが、生徒たちは、町田とか多摩センターの駅から、スクールバスで通学している。東京には、こういう感じの、山のなかにある私立の学校が多いのである。理由は、土地代が安いからだ。学校の帰りにゲームセンターや繁華街で遊んだりできないから、親の評判も、概して良かったりする。
 この近くには、黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」で有名になった玉川学園もある。

 それからも、私はわき道に入って、小さな谷戸を見たりして、午後3時ごろ、野津田公園に戻った。気がつかないうちに、ずいぶん遠くまで行ってしまい、持ってきた地図の範囲から出てしまった。そのため、帰りは思いっきり、道に迷ってしまった。

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鎌倉時代の道を歩く 町田市小野路町 (制作:玉川学園・玉川大学)
日本大学第三学園




福生付近

 国道16号線で福生(ふっさ)の周辺を走ると、誰もがその雰囲気に驚くと思う。米軍の横田基地(よこたきち)があるからだ。国道16号線は、基地の敷地を真っ二つに割るかのように走っている。
 横田基地は、米国空軍の基地である。ここに、軍人が約3,900人、その家族が約4,600人、軍属の民間人が約700人、日本人従業員が2,200人、総勢約11,400人が暮らしている。

 日本の国内に米軍の基地があり、そこに米軍が駐留していることについては、いまさら説明の必要もないだろうが、日本政府が他国の侵略を恐れて、日米安全保障条約に基づき、要請したものである。つまり、日本が「どうぞ、ここにいてください。」とお願いしたわけだ。戦後50年、日本が米国の軍事力の保護のもとで平和を維持し、経済発展を遂げることができたのは、まぎれもない事実である。

 基地周辺に住んでいる人以外にとっては、ほとんど関心がないと思われるが、横田基地がどういう存在かというと、アラスカから中東にいたる地域内で起こる、あらゆる戦争の司令基地である「第5空軍司令部」が置かれている。また、在日米軍の中枢である「在日米軍司令部」も置かれている。さらには「第374空輸団司令部」があり、武器や軍事物資の輸送・中継のターミナルとなっている。
 さらに、これはあくまでも伝聞ではあるが、横田基地に発着する輸送機は、米空軍マニュアルに「核兵器を輸送する」と明記されているという。
 要するに、数多くある米軍施設のなかでも、わりと物騒な部類に属する施設なのである。諸外国における米軍施設の実情はよくわからないが、一国の首都に、このような戦略拠点があるということは、わりと特別なことではないかと思われる。

 なぜ、東京都は戦後一貫して、横田基地問題を放置してきたのか。この理由については、私は、東京都の住民、および東京都庁の役人にとって、東京23区よりも西の、いわゆる三多摩地区については、東京であるという意識が希薄であったからではないかと思っている。
 東京23区よりも西にひろがる、かつての西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡の三多摩地区は、もともと神奈川県に属していた。それが、明治26年に東京府(当時)に編入され、現在にいたっているのだ。
 私の母は、三多摩地区のことを、「都下(とか)」と呼んでいた。都下とは「東京都の管理下」にある、くらいの意味であろう。すなわち、管理下にあるというだけのことであって、東京ではないという意識であった。

 最近では、都下という言い方は、あまりされなくなった。差別につながるからだろう。しかしながら、東京23区と三多摩地区では、依然として、かなりの格差がある。道路は狭いし、公立学校の校舎はボロボロだ。下水道の普及率も92%にとどまっている(東京23区は100%、横浜市は99.6% =ともに平成12年度末現在)。私は現在、立川市に住んでいるので、東京23区と三多摩地区の社会的インフラの質、量の差に対しては、わりと強い不満を感じている。

 ま、それはともかく、横田基地がもし東京23区のなかにあったなら、「日本国の首都である東京に、こんな物騒な施設があっていいのか!」という議論が、当然のことながら沸き上がったことだろう。しかしながら、三多摩地区にあったため、東京都23区内の住民も、都庁の役人も、なんとなく、どうでもいいや、ということになったのだろうと思う。

 現在、横田基地周辺は、人口が急増している。基地に隣接する市と町(立川市、福生市、瑞穂町(みずほちょう)、武蔵村山市、昭島市(あきしまし)、羽村市(はむらし)だけで約49万人。東京都三多摩地区全域(約394万人)と、埼玉県の西部の所沢市、入間市(いるまし)、狭山市(以上3市で約24万人)を含めると、400万人を超える。これは沖縄県の総人口(約133万人)の3倍以上である。しかも、横田基地と国会議事堂は、直線距離で約30キロメートルしか離れていないのだ。
 東京都に横田基地があることは、もしかしたら沖縄県に米軍施設が集中していることよりも、はるかに深刻な問題なのではないかと、私は思っているのだが。

 横田基地には、私の住んでいるところから、オートバイで走れば10分くらいで着いてしまう。旅というよりは散歩に近いが、基地の実態は、近隣の住民にも意外に知られていない。いちど、よく見てみるのも悪くはあるまい、と考え、出かけてみた。

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横田基地(米空軍公式サイト)
素顔の横田基地


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