国道121号線   −その3−


 翌朝は、早く起きられたら、中禅寺湖の夜明けの写真を撮ろうと思っていた。しかしながら、目がさめたのは、午前7時ごろであった。夜明けどころか、完全に明るい。しかも、
「もう7時ですよ。起きて、コーヒーでも飲みましょうよ。」
と言われて、やっと起きたのであった。
 私は、この年齢になっても血圧が低く、起きてしばらくしてからでないと活動できない。ぼーっとしたまま、友人が入れてくれたコーヒーを飲み、やはり友人がつくってくれた、パンにソーセージをはさんだものを食べた。
 どうも、昨日から、あまりみんなの役に立っていない。次回のキャンプでは少しは働かないとまずいかな、と思いながら、しっかりと、朝食をいただいた。

 食事を終えると、さて、どこかに出かけようか、ということになった。
 かつてはみんなオートバイに乗っており、いっしょに走った仲間であるが、現在もオートバイに乗っているのは、私と、もう一人だけだ。彼はBMWの大型バイクに乗っている。水平対向2気筒のでっかいエンジンにまたがって、ドコドコいわしながら走っている。
 約5キロメートルほど離れた、光徳牧場というところに行った。馬と牛がいた。けれども、それだけだった。
 さて、次はどこに行こうかということになった。鳩首協議をして、小さい子供をあまり連れ回したりしたらかわいそうだ、ということになり、日光のシンボルである日光東照宮に行こうということになった。

 ホンダのミニバンに乗った友人を先頭にして、いろは坂を降りる。いまはそんな大人しいクルマに乗っているけれど、若い頃はカワサキの1100CCに乗って、湘南バイパスを時速260キロメートルで走ったようなやつだ。子供を乗せているにもかかわらず、あっという間に他のクルマに追いついてしまう。
 マツダのミニバンに乗っている友人も、エンジンブレーキとタイヤのグリップをうまく使うので、コーナーの入り口で、強く短いブレーキを一発踏むだけで、コーナーに入っていく。その後ろを2台のオートバイが、ドコドコとついていく。なんだか、われわれだけ、目立ちまくっている。

 東照宮に着いた。駐車場にクルマとバイクを停め、東照宮の入り口まで、歩きはじめる。
 日光東照宮は、江戸幕府を開いた徳川家康を祭ってある神社である。関東近辺の小学校では、修学旅行の行き先は、いまでもほとんど日光であるから、見たことがある人は多いだろう。
 ここより入場料が必要、というところで、一同、顔を見合わせる。入場料が大人一人1300円と、予想以上に高かったからだ。
小学校の修学旅行でみたから、いいや。という意見が多く、結局、見るのをやめてしまった。

「東照宮だけで、1300円は高いよな。」
「眠り猫なんか、別に料金を取るんだぜ。」
「修学旅行でさんざん儲けているくせに、一般客からボルんじゃねえよな。」

とか、みんなで文句を言いながら、参道を下りはじめた。世界遺産の日光東照宮も、顔色なしである。


 お昼ごはんに、湯葉そばでも食べようじゃないか、ということになった。私は、湯葉は京都の名物、と思っていた。が、日光の名物でもあるようだ。初めて知ったのだが、どうも常識のようなので、黙っていた。
 道を歩くと、客引きのおばあさんが、しつこくついてきた。客引きをするようなところは、料金が高いか不味いか、いずれにしても、客引きをしなければならないだけの理由がある。無視するに限るのだが、あまりにもしつこい。おばあさんということで、たいがいの観光客は、同情してついて行ってしまうのだろうが、われわれは徹底的に無視する。
 客引きのおばあさんはなおも、「はい、お願いします、お願いしますね。」などと言いながら、われわれのそばから離れない。このしつこさは、新宿歌舞伎町の呼び込みなどの比ではない。歌舞伎町では自分の店の前からはなれると、ついてこない。客引きなりの仁義があるのである。
 おばあさんは、なおも私たちのあとを50メートルくらい、ついてきた。が、とうとう諦めて、われわれのそばから離れて行った。客引きのおばあさんとの、はげしいバトルが終わると、なんだかぐったりとした疲労感をおぼえた。ということで、なんとなく、その近くにあった店に入ってしまった。

 湯葉そばは、なまの湯葉、湯葉のつくだ煮など、いろんな湯葉が入っていた。が、あまり美味しいものではない。要するに、豆乳の上に張った、たんぱく質の膜である。そんなものを、みんなどうしてそんなにありがたがるのだろうと思う。が、そういうことを言うと、味音痴だとか言われそうなので、黙って食べた。

リンク
日光市公式ページ
日光ゆば製造株式会社


 湯葉そばを食べたら、なにもすることがなくなった。
 なにもすることがない、というのは、私ひとりの場合は、非常に歓迎すべき状態である。そういう状況を求めて旅に出るのだ、といってもよい。鉄道を使って旅をしていたころ、深名線(北海道)の朱鞠内(しゅまりない)駅の待合室で、3時間ほど列車を待ったことがある。ふつうの人からみれば、退屈で死にそうになるだろうが、私にとってはいい思い出になっている。なにもすることがない状態というのが、好きで好きでたまらない。
 けれども、グループ旅行の場合は、なにもすることがないというのは、いい状況とはいえない。必ず、「どうするんだよ、これから。」と言い出す人が出てくる。しかも、子供を連れている場合は、退屈させてしまう。

 結局、まだちょっと早いけど、帰りのクルマが混まないうちに帰ろうじゃないか、ということになった。子供を連れているときに渋滞にあうと大変だから、賢明な判断であろう。
 私は、もう1日、休みを取っているので、会津若松方面に行ってみることにした。もう一人、オートバイで来ている友人は、いわき方面まで行くという。そこで、ここで別れることになった。現地解散である。あっさりしているが、これくらいの関係がいちばんいい。だから、長続きしているのだろうと思う。



つづきつづきを読む     インデックスに戻る   ホームへホームに戻る

inserted by FC2 system