国道367号線  −その1−

 道の機能とは何か。
 本来は、資源を運ぶためのものである。資源とは、「人」、「モノ」、「金」、「情報」の4つである。太古の昔から、道は4つの資源を運び続けてきた。それは、人間の経済の歴史そのものである。
 情報通信ネットワークが急速に普及した現代において、道に求められる機能も大きく変わってきたように思われる。運ばれる資源のうち、まず「人」であるが、知的労働については、コンピュータネットワークにより、かなりの部分を運ぶことができるようになった。書類を作成してeメールで送るなどというのは、その代表的な例である。「金」は、ネットバンキングの時代であるから、ネットワークにより、一瞬で運べる。「情報」も同様だ。
 つまり、道の機能のうち、「人」、「金」、「情報」を運ぶことは、ネットワークの発達により、その重要度を相対的に下げているとみることができる。
 で、最後に残ったのが「モノ」。物資だ。こればっかりは、どうやったって、ネットワークでは運ぶことができない。
 「モノ」を運ぶということは、道の重要な機能であり、未来においても重要であり続ける。人間が生きていくうえで、道の果たす役割は、依然として大きいといえよう。

 ところで、ふるくからの道のなかには、運んだ「モノ」の名前がつけられているものがある。「塩の道」だとか、「絹の道」だとかいうように。若狭と京都をむすぶ道には、「鯖街道」という名前がつけられている。
 若狭と京都の関係は、生産地と消費地にあたる。むかし、若狭でとれた鯖に塩をして、京都まで運ぶと、ちょうど着いたころには食べごろになっていたという。若狭には、「京は遠ても(とおても)十八里」という言葉が伝わっている。
 若狭と京都を結ぶルートはいくつかあったが、メインルートは、現在の国道367号線であった。この道には、当時の繁栄を物語る古い家並が、今も数多く残っているという。
 もう塩鯖など運んでいるわけはない。が、鯖街道という名前には、心惹かれるものがある。ということで、私は国道367号線を地図で見ながら、いつか走ってみたいと思っていた。

 2001年5月31日、私は京都駅前に立っていた。
 鯖街道というくらいだから、若狭から走りたい気もするのだが、東京から来る者にとっては、やはり京都からの方が走りやすい。で、京都から小浜に向けて、走ることにする。若狭の人々にとっては帰り道にあたる。鯖が売れて、懐が暖かい状態で家族の待つ家に急いだ若狭人の心境になって、走ってみたい。

 若狭と近畿地方の結びつきは古く、奈良時代には、すでに街道があったようだ。若狭の人々は、30キログラムから60キログラムもの重い荷物をかつぎ、十八里(約72キロメートル)もの道を旅した。大変な重労働であり、ときには、命がけの旅であっただろう。
 私は何も運ばない。モノも、金も、情報も運ばない。ただオートバイで走るだけだ。なんだか、奈良時代の人々に、申し訳ないような気もする。


 国道367号線 (白地図著作権:「白い地図工房」



鯖街道紹介サイトへのリンク

 若狭から京へ鯖街道(E.Nemoto氏のページ)


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