国道238号線 その2


 ところで、私は長いあいだ、“日本の一番北”は、ここではないと思っていた。話は、私が大学1年生のときの夏にさかのぼる。私は、高校時代の友人とふたりで、北海道を旅行した。そのとき、稚内から船に乗って、礼文島に行った。
 私たちは、“8時間コース”と呼ばれるトレッキングコースを歩いた。そして、かなり苦労して、島の一番北にある「スコトン岬」まで行ったのだった。
 そこは、いかにも最果てといった感じのところであった。ウスユキソウ(=エーデルワイス)の白い花が咲き乱れ、遠くの岩場には、アザラシの群れが見えた。そして、「日本最北限の地、スコトン岬」と書いた棒が立っていた。7月とは思えないほど冷たい風が、強く吹いていた。
 私たちのほかには、誰もいなかった。私は、
「ああ、ここが“日本の一番北”なんだな。」
と思って、多少の感傷とともに、大いに満足したのであった。
 ということで、私はスコトン岬が日本の一番北であると、ずっと思いこんでいたのだ。



宗谷岬にて

 その後、私は、本当は宗谷岬こそが、最北端の地であるということを知った。スコトン岬は北緯45度27分50秒。宗谷岬は北緯45度31分22秒。すなわち、約3分32秒(約6.5キロメートル)ほど、宗谷岬の方が北にあるのだ。スコトン岬に建っていた、「日本最北限の地」という棒に、だまされたのだった。最北端と最北限。まぎらわしいこと、このうえない。
 いま、私は宗谷岬を訪れ、こんどこそ間違いなく、“日本の一番北”に立った。けれども、私にとっては、やはり、スコトン岬の方が好もしく思える。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌である「エーデルワイス」が流れているのを聞くたびに、スコトン岬の景色が浮かんでくるのだ。いっそ、スコトン岬が最北端だと、ずっと思っていればよかったかな、と思った。

注)けれども、スコトン岬に立っている、旅人をだますような「日本最北限の地」という棒は、撤去してもらいたいと思う。

  宗谷岬の地形図をみる
            スコトン岬の地形図をみる


(参考)
日本の最東端(南鳥島=東経153度59分11秒)の地形図を見る
日本の最南端(沖の鳥島=北緯20度25分30秒)の地形図を見る
日本の最西端(与那国島西崎=東経122度56分2秒)の地形図を見る

注)日本の一番東である南鳥島は、気象庁と海上保安庁の施設があるのみで、一般人は立ち入ることができない。日本の一番南である沖の鳥島は、直径2メートルと1メートルほどの2つの岩があるだけである。ということで、一番東と南は、ふつうの旅人には行くことが出来ない。それにしても、日本は意外と広い。排他的経済水域を含む広さ、約429万平方キロメートルは、世界第8位である。


リンク
礼文町公式ページ
天真爛漫礼文島



 午後5時30分をちょっとすぎたころ、宗谷岬をあとにする。すでに日は暮れかけている。北海道のこのあたりは、東京よりも東にある関係で、東京よりも約10分、日没が早いのだ。
 これが九州だと、逆に東京よりも40分くらい、日が暮れるのが遅い。したがって、屋外でやる部活、例えば野球やサッカーなどは、北海道の学校は、九州の学校よりも、1時間くらい、練習時間が短いことになる。圧倒的に不利であろう。道理で、九州や四国に野球の強い学校があるわけだ。
 宗谷岬から網走までは、日本でもっとも人工密度の低いところを走る。なだらかな丘を越えると、長く続く海食崖が見渡せるところに出た。北海道のオホーツク海沿いを代表するような風景である。展望台もなにもないが、美しいところであった。
 それにしても寒い。日中はそうでもないのだが、日が暮れると、みるみる気温が下がってくる。私は、北海道は夏でも寒いということを知っていたから、革のパンツをはいてきたし、フリースのジャケットの上に冬物のブルゾンを着ている。しかし、それでもまだ寒い。いま、気温はおそらく10℃前後であろう。まだ、9月の上旬とはいえ、東京でいえば、11月中旬くらいの気温である。

 ところどころに、新しい立派な家が、かたまって建っている。こう言っては申し訳ないのだが、こんな田舎に、立派な家が立ち並んでいるのは、ちょっと不自然な感じがする。あとで調べてみると、このあたりはホタテの養殖がさかんであり、それで財をなした漁師さんたちの、“ホタテ御殿”とよばれる家なのであった。


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