国道197号線 Part2   −その2−


 三崎町からの国道197号線は、「佐田岬メロディライン」という愛称が付いている。こういっては何だけど、人口がさほどない地区にもかかわらず、おそろしくいい道である。
 岬アジという看板が、目につく。九州の佐賀関であがったアジが関アジなのに対して、三崎町であがったアジは、岬アジというようだ。ほとんど同じところでとれた魚だと思うけど。しばらく走って、瀬戸町にはいると、こんどは瀬戸アジという看板になった。
 ちょっと、しつこい。アジなんて、どこでとれたものでも、大差ないだろう。

 伊方町に入る。ここは、原子力発電所があることで、全国にその名を知られている。四国電力伊方発電所で、出力は202万kwだ。
 このあたりの国道197号線が、人口に対して異常に立派な道路であるのも、この原子力発電所のおかげである。発電所では、地元の人たちを雇用しているので、そういった人たちが通勤するのにも、この道が使われているのだ。
 また、原子力発電所の建設に関連して、いろいろな交付金が出されている。伊方町では、だいたい年間5〜10億円くらいだ。人口6569人の町に、毎年、それだけのお金が、コンスタントに入るのである。税金なんか徴収しなくても、全然、平気だろう。

 ちょっと不公平に思えるほど、優遇されていると思う。けれども、四国で使われる電力のじつに50%が、この伊方発電所でつくられているのだ。これだけのエネルギーを発生する施設が、まったく二酸化炭素を出さないのである。伊方町の人々が、原子力発電所の建設を許してくれたおかげであり、そのことは、高く評価すべきであろう。
 伊方発電所では、刈羽のように原子力発電所そのものを見学できるわけではないが、かわりに伊方ビジターハウスがあり、発電所の概要を見学できるようになっている。

 ところで、ドイツでは、原子力発電所をなくしていく方向らしい。その背景には、まあ、いろいろと政治的なものがあるのだが、では、日本でそれができるかというと、無理だと思われる。仮に原子力発電を火力発電に戻すとなると、京都議定書の約束が守れないばかりか、発展途上国から排出権を買わなければならないことになり、また、いろいろと大変なことになる。

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四国電力
原子力情報
伊方町ホームページ


 伊方町を過ぎると、国道192号線は、とたんに狭くなる。それまで、豪華な道だったのに、その対比に目をみはる。
 どうして、こんなに差があるのだろう。この町では、原発建設に対する反対運動でもあったのだろうか。まさか、役人もそこまで露骨ではないと思うけれど、なんだかびっくりするくらいの待遇の差である。

 八幡浜市(やわたはまし)に入る。
 こういうことを言うと、また世代がわかってしまうのだが、私が中学生の頃流行った森進一の歌で、「港町ブルース」というのがあった。ブルースという題がついてはいるが、バリバリの演歌だったりするのだが、それはともかく、その港町ブルースの一節に、「みーなとー、高知、高松、八幡浜」というフレーズがあった。地図をみるのが好きな子供であった私は、もちろん八幡浜という地名は知っていた。けれど、歌に登場したのは、おそらく初めてだったと思うので、強く印象に残っている。

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ビクターエンターテインメント 森 進一
※港町ブルースの試聴ができる

八幡浜市ホームページ


 八幡浜の町のなかで左折し、JR予讃線に沿って走る。夜昼(よるひる)トンネルという変わった名前のトンネルを抜けると、大洲市(おおずし)に着く。ここは、肱川沿いに発展した町で、伊予の小京都と言われている。また、NHKの連続テレビドラマ「おはなはん」のロケ地となったところで、その場所は、いまでも「おはなはん通り」として、保存されている。
 市内に入り、オートバイを駐車できるところを探しているうち、「大洲町の駅あさもや」をみつけた。この施設は、前に大洲に来たときにはなかったように思う。休憩所と案内所をかねたような施設で、自動販売機のコーヒーを飲みながら、休憩した。

 「おはなはん」のビデオが再生されていた。モノクロであった。そうだったかな、と思った。が、はっきりしない。当時、わが家にはまだ、カラーテレビがなかったからである。
 おはなはんが放映されたのは、1966年(昭和41年)。私が10才のときだ。民放では、すでにほとんどの番組は、カラーだったような気がする。画面の隅っこの方に、「カラー」という四角い表示が出ていた。あるいはNHKのカラー放送開始は、遅かったのであろうか。

 おはなはんが放映されていた1966年ごろだと、カラーテレビ(当時は、総天然色テレビといった)は、非常に高価なもので、相当に裕福な家庭でないと買えなかった。私は、お金持ちの友だちの家に遊びに行って、カラーテレビを初めて見たとき、ガラスのケースに入った竜の置物が、テレビの上に誇らしげに置いてあったのを覚えている。あるメーカーが、カラーテレビを買うと干支の置物をプレゼント、なんていうキャンペーンをやっていたからである。テレビは木目調で、観音開きの扉がついており、私たち、裕福でない家庭の子は、その前で正座をしながら、見せてもらったものだ。

 当時、スーパージェッターという、アニメの人気番組があったのだが、私は、スーパージェッターのスーツの色は、白だとばかり思っていた。友だちの家でカラーテレビを見せてもらったとき、初めてスーパージェッターのスーツの色は、白じゃなくて黄色であることがわかったものだ。私は驚いたのだが、なんとなく、黙っていた。わが家が、カラーテレビをゲットしたのは、1970年の大阪万博の頃。それから4年も後のことである。
 また、話が脱線した。とにかく、おはなはんはモノクロであった。

 おはなはんというドラマは、要するに、未亡人となったおはなはんが、子供を育てながら医学を学び、ひとりで生きていくという話だ。高度成長期のまっただ中であり、女性の自立に対して、大きな関心が持たれていた時代であった。
 おはなはんのビデオを見ていると、観光案内係の女性が、私に話しかけてきた。

案内係の女性   「(このビデオは)おはなはんという朝の連続ドラマなんですよ。」
私    「ええ。覚えています。私が4年生か5年生くらいのときでしたから。」
案内係の女性   「おや、そうでしたか(笑)。」
私    「ところで、樫山文枝さんは、お元気なんでしょうかね。」
案内係の女性   「ちょっと前に、やはり朝の連続ドラマで、主人公の母親役で出ていたんですよ。」


そうだったのか。私は朝の連続ドラマを見たことがないので、知らなかった。

 その女性に、大洲の町を一望できるところはないか、と尋ね、冨士山(とみしやま)というところを教えてもらった。ふじさんではなくて、とみしやまだ。展望台に行ってみると、たくさんの猫が迎えてくれた。野良猫である。野犬は怖いけど、野良猫は怖くはない。けれど、たくさん集まると、ちょっと不気味である。
 大洲は、霧の町としても有名で、肱川の川面に川霧がかかることが多い。大洲の町を一望できるところに行けば、あるいは川霧が発生しているところが見えるかな、と思ったのだが、たまたま訪れたのに、都合よく霧がかかってくれるわけもなく、川霧の写真を撮ることはできなかった。


おはなはん通り
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NHK連続テレビ小説歴代年表
大洲市公式ページ
スーパージェッター.tv

 


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